タイトルのみ。
読書: 中島梓『コミュニケーション不全症候群』
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コミュニケーション不全症候群 (ちくま文庫) 中島 梓 筑摩書房 1995-12 |
非常に興味深いというか面白い内容だった。
「面白い」って言っちゃうのもなんかアレなんだけど。
だって内容が切実すぎるから。
人々が抱える問題の多くは「自分は社会とどう付き合っていくべきなのか」というところに行き着くと思うんですよね。
社会の中で自分をどのように位置づけるか。
そういった問題を上手く片付けられる人もいればそうでない人もいる。
人間が増えすぎると飽和状態になって脱落者が増えるのかもしれない。
というか、ほとんどの人間がリソースを奪い合って生きていると思うんですね。
で、リソースが足りなくなったときにどうなるのかというと、一定数の人間が脱落しないと社会が成り立たなくなるんです。
ま、いい人ふうに言えば「そんなの良くない」となるわけなんですけども、僕はもうちょっとクールにというか客観的に状況を捉える必要があると思ってます。
とか言うとなんかかっこいいよね。
まあ、行き着くところは「マイノリティ対マジョリティ」みたいな話なんですかね。
読書: ほんとはこわい「やさしさ社会」
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ほんとはこわい「やさしさ社会」 (ちくまプリマー新書 74) 森 真一 筑摩書房 2008-01 |
大して面白くなかった。
なんでこんな本買ったんだろ。
ていうか、どんな社会であれ、必ず何らかの問題はあると思う。
以前は良かったとか言っても始まらない。
もう戻れないんですよ。
だから、これからどうするか、ですよね。
ま、というようなことを著者も考えているようですが。
…
社会について語るっていうのは難しいっすね(適当なまとめ)。
「あー、わかるわかる」感の使い方
内容はさておき、こういう例えが危険なのは、「例え」そのものに対して「あー、わかるわかる」となって、次に、その「あー、わかるわかる」感が本題のほうにも無意識下で適用されてしまうこと。
話のわかりやすさが転じて、そもそもの問題についても「あ、そういうことか」と、わかった気になってしまう。
怖いですね。
弱者は絶対にそのポジションから抜け出そうとしない
弱者は絶対にそのポジションから抜け出そうとしない。
「抜け出せない」のではなく、抜け出そうとしない。
なぜなら、環境に左右されずに自分の力で強者になれるのだとしたら、強者の言っていることが正しいことになってしまうから。
逆もまた然り。
強者は、うまくいったりいかなかったりすることを環境のせいにはしない。
自分の努力によっていろいろなことが成し遂げられたと信じたいから。
確か内田樹がそんなようなことを言っていた気がする。
まあ、どっちも半分ずつ正しいのかな。
みんないったい誰と何の話をしてるんでしょうね
思いつきメモ:
弱者が自分の境遇に対して不満を言ったり、強者が弱者に対して「自己責任」だの「努力が足りない」だのと言ったりなんかしてるみたいですけど、みんないったい誰と何の話をしてるんでしょうね。
ていうか、生きる意味とか価値観とか、そいうものが全然違っている人間同士で議論して何らかの結論が出るとは思えないです、そもそも。
とか、まあそんなこと言ったら何も始まらないんですけど、いろんな言説を見ててつくづく不毛だなぁと思うんです。
議論の方向性が、物事を解決していこうという方向に向いていないように見えます。
例えば仕事においてこれに似たような状況に陥るといろいろまずい。
協力しあうべきなのにお互いを非難することばかり考えてる、とかね。
不毛ですね。
でも人間ってそういうゴタゴタからは容易に抜け出せないんですよね。
あなたがそうさせない限り、誰もあなたを利用することはできない
氷河期の猛吹雪にズダボロに引き裂かれた人々と、グングン成長した人たち – 分裂勘違い君劇場
とか、
syncのれんあい☆にっき ver1.1
とか、
reponの日記
とかの記事を読んで思ったこと。
まあ、あれですね。
たぶん、仕事頑張りすぎなんですよ。
残業なんか、したくなかったらしなければいいんですよ。
残業ってのはあくまで自分の意志でやることだと思うんですね。
仕事に限らず人生における「行動」って全部自分の「意志」でやるわけですよ。
「サービス残業をさせられた」とかいう表現がそもそもおかしいと思います。
やりたくなかったら断ればいいんですよ。
つまり僕が言いたいのはこういうことです。
「あなたがそうさせない限り、誰もあなたを利用することはできない」
元ネタは以下。
Nobody can take advantage of you unless you let them
「結局、相手にいいようにさせているのは、自分の責任だ」
と。(直訳すると、「あなたがそうさせない限り、誰もあなたを利用することはできない」となります。)
でもあれですよね。
元々こういう考え方に対して適性の無い人は、あと 100 年生きたとしてもこういう考え方はできないかもしれませんね。
人生観がそもそも全然違うのかも。
全てを自己責任として引き受けることができない人が一定数存在することを前提として考えなくちゃだめなのか。
マッチョと小市民の二種類のタイプの人間がいて、それぞれがどうやったらハッピーになれるか、ということを考えていくべきなのか。
この記事を読むとそんなふうに思う。
小市民も幸せに暮らせる社会へ – 雑種路線でいこう
…
僕のすごく個人的な意見ですけど、「○○のせいで自分はこうなった」というような発言って、なんか、自ら負けを認めてるようですごく嫌いなんですよ。
ていうか、だいたいこういうことって、物事がうまく回らなくなってきだしたあたりから言い出すんですよね。
いろいろなことがうまくいってるうちは、周りがどうとかってことはあまり言わない。
仕事がうまくいっているときに「いやー、全ては会社のおかげ、上司のおかげ、同僚のおかげですよ〜」とか言う人は少ない気がする。
逆に、仕事がうまくいってないときは周りの人間の文句ばっかり言ってたりするケースが多いんじゃないかな。
人間って、不快なことの原因をすぐ他人に転嫁してしまうんですよね。
少なくとも僕にはそういう傾向があります。
例えば、仕事がめちゃくちゃ忙しくてかなり疲れている時に、近くにいる元気そうな顔の同僚を眺めてみます。
するとあら不思議、その同僚のことが急に憎たらしくなってきます。
「俺がこんなに頑張ってるのにーー!こんなに疲れてるのにーー!!おまえは何をしてるんだーー!!」
ってね。



