February 15, 2006

「内田樹の研究室: 常識の手柄」の功罪

タイトルが大げさな割に内容は大したことないのであしからず。

内田樹の研究室: 常識の手柄

言葉の力は作者の統御を超える。
テクストはしばしば作者自身よりもはるかに豊かであり、奥行きがある。それはテクストが作者自身の豊かさや奥行きを文字に「翻訳」してできあがるものではないからである。

ここがすごく重要だと思った。
「「翻訳」してできあがるものではない」ってとこ。
この考え方は、人によっては受け入れがたいことかもしれない。

しかしこれについてはうまく説明しにくいな。
自分の頭のなかでもまだぼんやりしている、ってのもあるけど。

最近、内田樹の記事に対するはてブでの反応がおもしろい。

はてなブックマーク – 内田樹の研究室: 常識の手柄

この記事のブックマーク数はまだ少ない方だけど、みんな内田樹の記事にツッコミたくてうずうずしているように見える。
おそらく多くの人が、この記事の言わんとするところをうまくとらえられていない。
「常識」という言葉に過剰反応している人が多い気がする。
そういう人達は、「常識」という言葉が記事のなかで使われているを見ると、そのことが頭から離れなくなる。
「内田樹が常識について語っている!釣りか?」ってな具合に。

そう仮定した上で僕の意見を言うと、こんな感じ。
内田樹は常識について語ろうとはしていない。常識というものを用いて人間の言語活動のありかたを表現しようとしているのだ。

「常識」とか、一般人にもわかるような言葉を使うと変に過剰反応してしまう人が出てくる、ということなのかな。

って、そんなことはみなさん承知の上なのでしょうか。

言葉というものは、いろいろなものとの関連によって意味を持ってくる。
しかし、関連といってもその組み合わせは無数に存在する。
我々は、その無数に存在する関連の中から適切なものを選びだす「センス」を持っている。
その「センス」のことを内田樹は「常識」と言っているのではないか。

例えば、誰かに対して「じゃ、またね。」ってなことを言う場面を想像してほしい。
このとき、何も意識しなくてもこの言葉の意味は相手に伝わっている(と思える)よね。
しかし、この言葉を文法的に解析しても、相手に伝わる(と思える)意味をそこから導き出すことはできないと思う。
にも関わらず「じゃ、またね。」という言葉の意味が相手に伝わる(と思える)のはなぜだろう?
そこに暗黙の何かが存在しているから、と思えてこない?
それを「常識」と呼んでみても良いんじゃない?

じゃ、またね。

6 Comments »

  1. Comment by こじま, February 15, 2006 at 7:51 #

    内田さんのエントリ読んでみました。

    実に「常識的な」ことが書いてありますね。

    「テキストは作者のものではなく、解釈は自由だ」「とはいえ、常識的な解釈というものは存在する」「でも絶対的な常識はない」

    当たり前すぎるな。というのが感想です。常識の形成についての考察がほとんどないのがバランス悪いかな。

    これを「釣り」と思うひとが何を感じているのか、本気でわかりません。どのへんが釣りっぽいんだろう?

  2. Comment by jugyo, February 15, 2006 at 9:32 #

    僕のぐだぐだなエントリにお付き合いいただきありがとうございます。(笑)

    > これを「釣り」と思うひとが何を感じているのか、本気でわかりません。どのへんが釣りっぽいんだろう?

    よくわからないですよねぇ。
    もしかするとあの記事には、はてブユーザーにだけ伝わる「何か」があるのかもしれませんね。
    はてブユーザーにとっての「常識的な何か」が。(笑)

  3. Comment by おおむら, February 16, 2006 at 2:20 #

    はじめまして。
    「センス」というところに興味を持ちました。
    常識は英語でcommon senceですよね。
    これがどうも、日本語でいうところの「常識」とはちょっと意味合いが違うような気がするのです。
    あのデカルトでさえ良心(ボン・サンス)には信頼をおいていましたし、「センス」ってのはどうもよくわからないけれども奥深いものがあるような気がしています。

  4. Comment by jugyo, February 16, 2006 at 9:28 #

    コメントありがとうございます。

    > 常識は英語でcommon senceですよね。
    > これがどうも、日本語でいうところの「常識」とはちょっと意味合いが違うような気がするのです。

    なるほど~。
    そこまで考えてはいなかったのですが、言われてみるとそんな気がしてきますね。

    時と場合によると思いますが、日本語における「常識」という言葉には、「慣習」や「思い込み」などといった意味も含まれている気がします。
    「常識」という言葉に対する、一部での過剰反応は、そいうったことが原因なんじゃないかと思っています。

    話は変わりますが、おおむらさんのサイト、めちゃくちゃ良くできてますね!
    すばらしい完成度だと思いました。

  5. Comment by おおむら, February 19, 2006 at 23:45 #

    そんな、照れますね(笑
    ぢつは検索結果のページとか、まだ手付かずでぐちゃぐちゃだったりします…

    「慣習」「思い込み」とか、おっしゃるとおり、そういった悪い意味も含まれますよね。
    加えて、新しいアイディアをつぶすために振りかざされる「常識」が多いせいか、それに反発する「アンチ常識」な人もいるような気がします。
    上記のような悪い意味での常識も困ったものですが、アンチ常識のほうも単にアンチのためのアンチだったりして、困惑させられることもしばしば…

  6. Comment by jugyo, February 20, 2006 at 18:35 #

    > 上記のような悪い意味での常識も困ったものですが、アンチ常識のほうも単にアンチのためのアンチだったりして、困惑させられることもしばしば…

    おっしゃる通りだと思います。
    そういった議論は不毛なものになりがちな気がします。
    人それぞれ「常識」という言葉に対していろいろな思い入れがあるんでしょうね。

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